大友山は、松山市と砥部町の市境にそびえるふたコブ山です。
黒森山から北へ延びる尾根の末端に位置しています。
南尾根は塩ヶ森と繋がっているものの、三方を平地に囲まれ、独立峰のような趣があります。
松山側の東麓は御坂川が潤す田畑が拡がります。
砥部側の西麓は砥部川に平行する国道33号線沿いに砥部の町並みが発展しています。
なだらかな丘陵地形の北麓には、県の総合運動公園やとべ動物園、えひめこどもの城が設けられています。
山裾にはため池が点在しています。
東西から見るとフタこぶ山な独特な姿をしています。
最高峰は南頂で三角点もそちらに設置されています。
北頂には祠があります。
どちらも頂上はなだらかで、特に北頂は中世城郭の名残の平地が幾つか見られます。
その城の名は大友城(または大戸城、大砥城)。
麓の恵原に今も濠が残る荏原城(平岡氏の居城)の番城だったと伝わっています。
番城とは、城主を置かず、侍大将などを派遣して守備させる城のことです。
荏原城は平地にあるため、高い山上から四方を見張っていたのでしょう。
現在、両山頂とも自然林に覆われ、往時の様な遠望は期待できません。
けれど、地形図的には、視界を遮る山もなく、山上からは道後平野が一望。
南方から峠を越え来る敵勢も見張れる好立地だったことは想像に難くありません。
日差しを遮る山もないので、山肌の多くはみかん畑など、果樹栽培に利用され、砥部側には大きな梅園も見られます。
ミカンの収穫期には山裾がオレンジ色のドットに包まれます。
乾いた夏にはスプリンクラーが描く虹がいくつも架かる光景が見られます。
けれど、一方で、農業経営の難しさから放棄され、ヤブにまみれた果樹園も混在しています。
杉など植林された人工林も林業の低迷で手入れが行き届かず、山の中は少々、荒れ気味な観があります。
砥部町役場の真裏に位置しながら登山道が全く整備されていないため、入山者も限定的です。
よって、唯一の登山道も夏はヤブにまみれ、雑木が密になってしまうので、山頂を訪れるなら冬が最適でしょう。
松山側、浄瑠璃町にはその名の元となった浄瑠璃寺と八坂寺という、四国八十八カ所の霊場が二寺もあります。
浄瑠璃寺は46番、八坂寺は47番札所です。
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