亀老山、カレイ山、念仏山は、しまなみ海道の大島にある、山頂に展望台を備えた山山です。
大島は、今治市の沖合に浮かぶ芸予諸島のひとつで、現在は今治市です。
合併前はひとつの島の中に吉海町と宮窪町のふたつの町がありました。
四国・今治と中国・尾道を結ぶ西瀬戸自動車道=しまなみ海道が島の中程を通っていて、四国側の起点・今治と来島海峡大橋で繋がっています。
面積は41.90k㎡(松山市の10分の1)、海岸沿いの車道を一周すると約40kmです。
中世(南北朝~戦国時代)、芸予諸島は村上水軍の本拠地でした。
村上水軍は瀬戸内海を縦横無尽に活躍した水軍であり、海賊でもありました。
村上氏は本拠地ごとに能島村上家、来島村上家、因島村上家の三家からなっていて、大島には能島村上家が本拠を構えていました。
来島村上家は河野氏と好を結び、因島村上家は毛利氏に属しましたが、能島村上家は独自路線を通しました。
結果的には豊臣秀吉の怒りを買い、瀬戸内海から追い出されることになります。
それまでは塩飽諸島以西の制海権を掌握するほど、大いに栄えていました。
大島の周りは潮流が川のように激しく流れていて、宮窪町の沖合、潮流に洗われる能島にはその利を活かし、能島城が築かれていました。
島全体が城塞化されていた能島は国指定史跡となっています。
宮窪町には村上水軍をテーマにした日本唯一の水軍の博物館「村上水軍博物館」があります。
6世紀末~7世紀初頭にかけて築かれた古墳が100余りも発見されています。
最大の「藤崎古墳」は、直径30メートルの横穴式の円墳です。
鉄斧、金環、曲玉、剣、刀子、馬具、須恵器、円筒埴輪など、多数、出土しています。
しまなみ海道開通以来、大勢の観光客が訪れるようになりました。
年中楽しめるよしうみバラ公園や、夏は青く透明な海が魅力の海水浴場や潮流体験が人気です。
海水浴場は南浦ビーチ、千年松ビーチなど、潮流体験は村上水軍博物館の前から運行しています。
春は島四国八十八ヶ所めぐりの島遍路で賑わいます。
本山から「准四国」として認証された数少ないミニ八十八ヶ所のひとつです。
、全行程63キロ、毎年の旧暦3月19日~21日の縁日に徒歩で2泊3日かけて一巡するのが一般的です。
近年はバスやマイカーで早早に巡拝する人も多くなっています。
民家がお遍路さんの宿になる「善根宿」やお接待の風習はいまでも変わりなく続けられています。
亀老山は、山頂にある亀老山展望公園の展望台から瀬戸の多島美、世界初の3連吊橋の来島海峡大橋を眼下に望みます。
対岸に今治市街地を、奥に高縄山地や石鎚山まで見通すことが出来るお山です。
ユバノミツバツツジ、ヤマツツジなどの群生も見事です。
麓から車道が整備されているので、観光バスも上がってきます。
中腹には、南北朝時代に活躍した村上義弘の墓(宝篋印塔)があります。
城ん台というところに出没した大蛇に化けるタヌキの昔話なども語り継がれています。
カレイ山は、山頂展望台から見下ろすと、海から山からダイナミックなパノラマを一望することが出来ます。
伯方・大島大橋、船折瀬戸、急流に浮かぶ能島の能島城跡、鵜島。
南方を見晴らせば波打つ大島の山並み。
北方は伯方島・大三島・生口島と続くしまなみ海道、岩城・弓削・生名の島島、中国山地まで、
山頂にはキャンプ場も併設しているほか、地魚のカレーが名物の遠見茶屋も。
念仏山は、大島の最高地点です。
山裾には島の特産品「大島石」の採掘現場が多数あり、白い岩肌を見せています。
海岸線から離れた山頂は展望台とアンテナ施設が同居し、訪れる人もまばらで静かです。
「念仏山」の名は、島を襲った大津波から運よく山頂に逃れられた人人が、大勢の犠牲者のために念仏を唱えたことに由来しています。
当時、山頂には寺があり、津波の襲来を知らせた鐘が吊されていた大きなマツ「鐘かけ松」は昭和の初め頃まで現存していました。
そのほか、海のカキが付着した大岩もあったそうですが、展望台建設時に行方不明になったそうです。
大島ではありませんが、しまなみ海道の四国側の起点・今治に糸山はあります。
伊賀山山地に属し、海に飛び出た岬のような姿をしています。
大きなカーブを描いた後、海へ一直線に飛び出す来島海峡大橋の姿は壮観です。
宿泊やレンタサイクルのステーションがあるサンライズ糸山など、しまなみ海道観光のベースとなる施設が点在しています。
歩行者・自転車、原付バイクなどが橋を渡るための入口があります。
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