重信大橋付近から

  

砥部町原町から

砥部町川中地区から

砥部町川上地区(つづら川入口)から

銚子ダムから

向山(むかいやま)
愛媛県砥部町川登二ツ木
標高683m
▲山頂の三角点
点 名 二ツ木
種別等級 三等三角点
地形図 松山-松山南部
緯 度 33°41′33.0249 
経 度 132°48′22.4559 
標 高 683.32 m
所在地 愛媛県伊予郡砥部町大字川登3075-1番地 
千里山(せりやま・せりさん)
愛媛県砥部町千里
標高581m
別名・城山
※三角点はありません。

向山は、地図に名前が載っていませんが、松山市内南部からよく見えているお山です。
国道33号線を南へ走ればいつも正面に、松山自動車道上からは松山インター付近でとてもよく見ることができます。
三坂峠から黒森山へ続く峰峰と、でんとそびえる障子山の間、広田方面へ続く谷間に位置しています。
周囲の山並みから少し独立して見える向山は、ある特徴から山座同定も非常に簡単です。
ある特徴とは送電鉄塔のことです。
山頂に立つ四国電力の送電鉄塔が山の高さに比してとても大きく見えるからです。
地図に刺した目印のピンのように遠くからも見えます。

砥部町と広田村が合併する以前の町村境だった上尾峠のすぐ東に向山はあります。
上尾峠自体、向山とすぐ南西隣にある水梨山を結ぶ稜線上に位置しています。
山頂まで送電鉄塔の巡視路が通じています。

千里山は、旧砥部町の南端、旧広田村との境近くにあります。

えひめ森林浴88カ所47番。

国道33号線から国道379号線へと進み、山間部に入って間もなくの川中地区辺りからちらちら山頂が見え始めます。
つづら川地区への分岐のある、(2007年9月現在工事中の)川登トンネル付近で、錐体にそびえる姿が目に飛び込んできます。
国道は万年地区へ一端向かいつつ高度を稼ぎ、千里山の五合目付近(標高300mほど)を通り、上尾峠へと向かいます。

千里山は「予陽旧跡漫遊記」に登場し、“世梨山”と書かれています。
千里山は“城山”の名の通り、中世城郭のあったお城山でした。
保元・平治の乱の頃(1156~1159)には、河野新三郎通豊(河野通清の弟)が居城。
南北朝時代には大森次郎佐衛門盛清やその子・大森彦七盛長が居城していました。

大森彦七は足利尊氏に仕えた武将で、湊川の戦いで楠木正成を敗死させたという話が「太平記」にあります。
恩賞として新たに得た神前郷松前村(現在の松前町)へ向かう途中、矢取川で「鬼女」に遭遇します。
それは楠木正成の怨霊が化身した姿で、腰の刀を奪おうとしたので退散させたという話です。
江戸時代から明治にかけ、舞踊や新歌舞伎の1つとしてよく上演されました。

“伊予十城”のひとつだった千里城は、豊臣秀吉の四国侵攻以降も存続していました。
けれど、徳川の世になり、幕府の発した一国一城令により、廃城となりました。
現在、千里城跡は砥部町の文化財に指定されています。

砥部千足
13.2km
千里山 9.4km
700m 1.4km 千里サン谷
銚子ダム
キャンプ場
600m
500m 向山
上尾第一隧道
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