新城山、立岩海岸から

  

新城山、聖カタリナ大学付近から

  

尾ノ峰、新城山山頂から

新城山(しんじょやま)
愛媛県松山市(旧北条)下難波
標高161m
※三角点はありません。
尾ノ峰(おのみね)
愛媛県松山市(旧北条)下難波、大浦、浅海原
標高193m
▲山頂の三角点
点 名 浅海
種別等級 二等三角点
地形図 松山-松山北部
緯 度 33°59′56.682 
経 度 132°47′07.7654 
標 高 193.18 m
所在地 愛媛県松山市下難波字尾ノ峰乙181番地18

腰折山のすぐ西にある杜のようなお山が新城山です。
三角点から南へ50mほど行くと、露出した巨石が並んでいます。
麓に石室を有した古墳がいくつか発見されていることから、縄文の巨石文化と結びつける方もいらっしゃるようです。
鏡岩、女神岩、男神岩などと呼ばれています。
水田も多い緑豊かな北条市街や、安芸灘や伊予灘など青い瀬戸の海が望むことができます。
高縄山や腰折山、恵良山、目を北に転じると山間にしまなみ海道の橋脚も目にすることができます。

新城山にも河野氏ゆかりの中世城郭がありました。
麓の鎌大師堂には当時起こったひとつの悲しい物語が語り継がれています。
「山守喜三右衛門一家七人之墓」がそうです。
山守をしていた喜三右衛門が、干ばつで苦しむ貧しい村人を救おうと木を伐採、売った金を分け与えました。
喜三右衛門は程なく、捕らえられました。
役人は領主に処遇を確認する為、新城山の山頂からのろしで合図を送ります。
すると領主は、現代で云うところの情状酌量でしょうか、喜三右衛門を助ける旨の合図ののろしを返しました。
のろしを確認した新城山の山頂からも助ける合図の鐘が鳴らされました。
けれど、なんということか、役人が聞き間違えてしまうのです。
哀れ、喜三右衛門一家七人は全員処刑されてしまいました。
以来、村人は七つの塚を立て、現代に至るまで供養されています。

尾ノ峰は、新城山の北、北条青少年スポーツセンター、道の駅・風和里の背後にあるお山です。
山頂付近までみかんなど柑橘類の栽培に利用されています。
登山道や農道には、青少年スポーツセンターが設置したオリエンテーリングのマーカーが点在しています。

山頂はカヤなど雑草が生い茂り、眺望はイマイチです。
みかん畑まで降りると、大浦海岸や浅海、菊間の町を、潮風に吹かれながら遠望することができます。

道の駅風和里 1.8km 尾ノ峰
2.2km
新城山 300m
500m 北条育成園
1.6km
北条下難波 北条下難波
17.8km
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