御幸寺山は山頂まで10分。
早朝散歩、お昼休みの腹ごなし、夕暮れのクールダウン、思いついたとき、ふらっと立ち寄れる、街に隣接したお山です。
山頂からは、松山城下の文京地区、道後温泉街、はるかに双海の海岸線や、皿ヶ嶺連峰も一望することができます。
東南麓から弥生前期の土器が出土し、群集古墳が造営されていたと推測されています。
室町時代には山頂に御幸寺山城(三木寺山城)という城郭が築かれていました。
江戸時代には山麓に寺町が、松山城の城下町との接触地帯として形成され、現代でもお寺や神社が軒を並べるように集中しています。
関ヶ原の戦いで武功を上げた加藤嘉明が松山に築城する際、勝山、天山と並んで御幸寺山も候補地のひとつになりました。
本命は勝山で、御幸寺山に城を構えるつもりはありませんでした。
幕府が第二候補地に許可を与えることを見破っていた嘉明が裏をかくために候補に含めただけです。
麓には一草庵や護国神社、ロシア兵の墓地のある来迎寺などがあります。
自然林に包まれた山肌は、北側がミカン、イヨカン等の常緑果樹園に利用されています。
南側ではコバノミツバツツジ、アカマツの群落が見られます。
愛媛県レッドデータブックに記載されている、準絶滅危惧種のゴホントゲザトウムシの生息地です。
※残念ながら1994年の記録を最後に生息が確認されていません。
麓を流れる大川は御幸寺山、山田池を源にする二級河川です。
御幸寺山は“みきじさん”が正しい読みです。
正岡子規が詠んだ「秋の山 御幸寺山と申し 天狗棲む」(明治28年発表)でも、読みは“みきじさん”です。
最近、“みゆきじさん”と呼ぶ人や、ふりがなをふる本や雑誌を見かけることがあります。
一般的に山名とは地域での呼び名であって、役所に登録された正式名称というわけではありません。
県や市の役場の資料でも“みきじ”と“みゆきじ”が混在しています。
国土地理院が試験公開している地図閲覧サービスでも“みゆきじさん”が採用されてしまっています。
国土地理院の地図は地元の役所が申請した山のみが記載されるため、県役所の誰かが“みゆきじさん”を申請してしまった可能性があります。
「御幸」「みゆき」「みきじ」の由来はいくつかあります。
1.菅原道真に御酒(おみき)を捧げた故事。
2.舒明天皇が道後温泉へ行幸した際、ここを行在所とした(行幸=御幸)。
3.霊木が三本あったので三木寺と称した。 |
由来2の行幸(御幸)時、舒明天皇が三木寺を仮住まいしたことから、行幸(御幸)にあやかって御幸寺に改名したと伝えられています。
御幸の名前が定着したのはその頃からと思われます。
ちなみに、御幸寺の山号は御幸山です。
山頂に河野通之が築城した居城は御幸寺山城です(別称・三木寺山城)。
「みきじじょう」と読みます。
「御幸寺(三木寺)山城で戦死した河野犬法師丸の霊を三木寺明神として祭祀した」という話も伝わっています。
御幸寺は元は「三木寺」だったという話もあります。
一応、愛媛県知事にメールで訊いてみました。
返信は以下の通りです。
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拝啓 知事への提言メールを御利用いただきありがとうございます。
「御幸寺山」の名称については、お話のとおり文献によって読み方に違いがあります。
色々な文献を調べましたが、「みきじさん」、「みゆきじさん」の両方の読み方が混在しており、どちらが正しいかということはわかりませんでした。
なお、お話の主旨は松山市にも伝えさせていただきます。
【参考】
「みゆきじ山」
愛媛県史(昭和58年 愛媛県発行)
「みきじさん」
愛媛県百科大事典(昭和60年発行、愛媛新聞社編集) 敬具
平成18年2月6日
愛媛県企画情報部秘書広報局広報広聴課 |
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