へ行こう!
林道終点~奈良原神社・楢原山山頂 | |||||||||||||||||||
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮⑯ | |||||||||||||||||||
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①林道終点、写真中央奥にある登山口へ向かうと、
その途中、右側の斜面、その木立に-
石像と石碑が祀られています。
これは往時、奈良原山が修験山伏等の行場・霊山だった時代に、
この地にあった蓮華寺を記念したものです。
奈良原神社と蓮華寺には常時、行者がこもっていたそうです。
石碑の後ろの尾根に登ってみました。
そこは思った以上に平らかな土地が拡がっていて、
それなりのスケールのあった寺院が建っていたとしてもおかしくない場所でした。
写真右奥へ進むと、先に寄り道した地デジ中継施設です。
林道に戻り、木のベンチに足をかけて靴紐を整えてたとき、
一段下がったところに丁石が立っているのが目に入りました。
「五丁」でした。
と云うことは、そこが旧参道なのかな。
落ち葉に埋もれてよく分かりませんが、舗装路の終わり、
すなわち、林道の終点が登山口、奈良原神社の入口です。
楢原山はえひめ森林浴八十八カ所の第72番です。
古風な字体で「奈良原神社」。
「よにあらば 光も月も宿すらん
丹生玉川の清き流れに 長慶天皇 御製」
長慶天皇は奈良原神社ゆかりの謎多い天皇です。
ちなみに、以前はこんな案内図でした。
緩やかな登り坂、右へ、そして左にカーブ。
②昔はズルズル滑るただの坂だったんですけど、
いつの間にか階段状に丸太が整備されてました。
左脇に-
「四丁」、ありました。
って、5丁~4丁間、短すぎな気が…。
③近年、整備された階段をとぼとぼと登っていたら、
右になにやら道標が。
新旧参道の分岐とな。
旧参道は不明瞭だったので、整備された新道を登ります。
④長かった坂道もなだらかな尾根に出て一旦、一休み。
訪問時は冬枯れたシーズンだったので木立の外の景色が見えてますけど、
夏は木漏れ日揺れる緑の道です。
道ばたに巨大な切り株がふたつほどあります。
かつて、奈良原神社の参道沿いにはスギの巨木が立ち並んでいたそうです。
この切り株はその名残です。
十数年前のことですが、これらの巨木、11本もが、
違法伐採されるという事件が起きました。
それも人知れず伐り出されていったそうで、
大胆にも程がある、神罰も恐れぬ所行じゃ (-_-;)
⑤なだらかな坂の途中に小さなお社があります。
「壬生川上神社」と「馬神様」です。
境内社 |
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水源の神様 |
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馬神様から間もなく「二丁」。
木のベンチの先で-
⑥登山道は二手に分かれます。
整備された階段コースは左、昔ながらの坂道は右です。
写真左の四国のみちの道標は、
元々は写真中央の白看板の道標が立ってる位置にありました。
「←水ヶ峠 4.0km 楢原山 0.2km→」
「登山道(1)山頂へ250m→
←登山道(2)山頂へ270m」
「子持ち杉」に迫れるのは左の登山道(2)の方です。
ひとまず、(2)を登ります、(1)は後ほど紹介します。
⑦えっちらおっちら、歩幅に合わない階段にやきもきしながら、
登っていたときに見えた、木立のブラインド越しの山並み。
冬枯れた季節だから見えた景色でした。
⑧支尾根みたいな場所に乗りました。
ここは、上木地からの登山道(四国のみち)が合流・分岐する場所です。
四国のみちの道標が立ってる場所が上木地コース合流分岐点。
「←上木地 2.3km 楢原山頂上・奈良原神社→」
「←上木地 参道口 駐車場↓」
上木地に下れる道、麓からは1時間ほどです。
四国のみちの道標から右に向きを変えると、
山頂への道が右に、子持ち杉が左奥に目に入ります。
「←二代子持杉 山頂へ(牛神様)→ 自然遊歩道へ 約600m↓」
道標、解説看板の後ろの道みたく見えるスロープは通行止めです。
神社はまだ先ですが、もう解説してくれます。
奈良原神社 |
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楢原山(標高1042メ-トル)の山頂にある奈良原神社は、昔、奈良原権現と呼ばれ、牛馬を守る神として信仰されていました。 |
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⑨県の文化財指定・天然記念物の「子持ち杉(二代目)」はすぐそばです。
丈も幹周りも規格外なので、離れてみないと全体を視界に収めることができません。
当然、レンズに収めるのも一苦労、パノラマ撮影じゃないとまるっと撮れません。
子持ち杉の隣の木もデカいです。
二股なのか、それとも二本が一本に繋がったのか、
変わった格好の木です。
2代目の子持ち杉のデータです。
樹高は、24.0m、胸高幹周は、657cm、樹齢はなんと1000年!
⑩山頂へ向かう坂道、その途中で、⑥で分岐した、
登山道(1)と合流分岐します。
「←自然遊歩道へ 山頂へ→」
と云うわけで、⑥からの登山道(1)を紹介します。
⑥「登山道(1)→」の方へ進むと-
こちらは階段整備されていません、昔のまんま、急坂です。
⑪たまった落ち葉で滑る坂道な尾根筋をえっほらえっほら登ると、
また大木の切り株に会います。
生きてた頃の姿を見てみたかったなぁ。
切断面は、ちょっとした家族が食卓を囲めるくらいの広さ。
冬枯れじゃなく、立ち枯れた大きな木もあります。
立ち枯れは落雷の影響だそうです。
尾根筋をどんどこ登ると-
⑩はい、さっきんとこに合流です。
んじゃ、山頂へ向かいませう。
坂を登り切ると-
⑫「
境内社 |
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水源を守る神。 |
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南から西にかけて、東三方ヶ森山系の中三方ヶ森から南三方ヶ森(白潰)、
明神ヶ森、福見山にかけての山並み。
⑬「牛神様」から目と鼻の先に、さらに巨大な株が目に飛び込んできます。
こちらが初代の「子持ち杉」だった株です。
初代は樹齢尽きて枯死したのですが、
残った部分だけでも圧倒的な存在感があります。
願かけすると子宝が授かるとか、
木の窪みに溜まった水を持ち帰って胸につけると
乳の出がよくなって子供が元気に育つなど、
故に「子持ち杉」と呼ばれたり、「乳杉」の別名もある、
子宝や子供が健やかに育つ御利益がある神木として崇められてきました。
“念ずれば子宝授く子持ち杉”。
山側に回ると人が入れるくらいの裂け目があり、
溜まった朽ちた木くずを温床に-
数百年後には三代目子持ち杉にになるかもしれない、
新しい命が育ってました。
後で分かったのですが、裂け目で育っている若いスギは、
実は初代のDNAを引き継いでいる苗が植樹されたものだそうです。
初代が枯死する直前、採取されていた挿し木苗が、
玉川町内の神社に植裁されていたことが後日、判明。
挿し穂と呼ばれる、
スギ本来の性質をそのまま次世代に引き継ぐことができる方法で養成した苗が、
この裂け目に植え込まれました。
この若い命は将来、大木になること確実です (^_^)
大切に見守ってゆきましょう!
⑭初代の少し上で、2代目「子持ち杉」を、
真横から見ることができる場所がありますう。
樹齢1000年も納得の猛々しい立ち姿。
近くにまた切り株。
きっとこの木も子持ち杉に負けず劣らずの
大木だったに違いない。
⑮最後の登りです。
整備された階段を一段一段、踏み踏み、登ります。
空が近くなってきたら-
⑯楢原山山頂に到着しました!
山頂はイコール奈良原神社境内で、お社が建ってます。
「東経132度56分49秒 北緯33度56分13秒 標高1042.00m
平成6年度 玉川中学校製作」
裏に製作に関わった生徒らの名前が彫ってあります。
奈良原山経塚 |
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奈良原山経塚は、標高1042mを測る楢原山山頂に位置する。 |
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〈国宝 奈良原山経塚出土品(一括)〉 |
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お社の前には石でできたテーブルセットが設置してあります。
お社の横に立つ石碑。
奈良原神社は、社伝によると、持統4年創建、牛馬の守護神として、県下に広く信仰普及していたが、牛馬の減少に加え、木地部落民(氏子)全員が今治地域に移住するに至り、やむなく昭和47年3月今治市別宮、大山祇神社境内に分霊を鎮座する。 |
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平成4年8月吉日 氏子中 |
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本殿は平成13年10月に改築再建されました。
合掌。
境内の南側、立ち並んだ石碑の奥、
こんもりと地面が盛り上がっているところがあります。
お社の脇から入ることができるこの場所は、上の解説に出てきた、
国宝に指定された銅製の宝塔が出土した経塚です。
狛犬と石塔がお祀りしてあります。
狛犬コレクション、吽と-
阿。
「経塚発掘後」。
後ろから。
石が積んでありました。
木立のブラインド越しに見えた高縄山や北三方ヶ森、
西向きのパノラマです。
ひとりごと | ||
いきなりですが、林道終点で装備を調え、歩きながらはめていた手袋が、なんと両方とも右手用でした…。 家を出る直前、袋を破いてザックに入れてきた新品だったのに… (-_-;) さて、今治市内の大抵の場所から、その山頂を見つけることができる楢原山。 前回に引き続き、今回も林道で楽して山頂直下まで登りました。 鳥居代わりの注連石から奥は大木にも出会えるゾーン。 登山道が整備されてました。 奈良原神社は、水源に位置する関係で雨乞の神様でもあり、牛馬守護神として衆庶の信仰をあつめてきました。 御祭神は、 牛馬の守護神とする信仰は江戸時代中期以降のことで、古くは修験者や山伏らの行場として発達しました。 牛馬の信仰の始まりについては、南北朝の末に長慶天皇が奈良原山に隠れた伝承に由来します。 山頂で発見され、国宝に指定された銅宝塔については、山頂の解説板に詳しいので省略します。 |
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