波方のお山へ行こう!
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高山と梶取ノ鼻

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下記写真の場所
送電鉄塔・アンテナ施設
  

ウネントウ池の角にある県道301号線の入口。
宮崎入口バス停もそばです。
「←宮崎」の案内に従って左折。

じき、アンテナそびえる高山が視野に。



  

左カーブの外側にある高山への入口です。

「←ふるさとこみち 高山盤座」

短いですけど、一応、林道、高山線。



ちょこっと北側の海が見えました。



DoCoMo波方無線中継所から徒歩となります。

高山盤座(いわくら)

原始社会では、山に神霊があるという考え方が、一般的だった。
そして麓や遠くから眺め仰げる所でお祀りをしていた。
石に対してもやはり同じで石器時代以来考えられており、古墳時代(400年~700年ぐらい)はますます盛んだった。
石神(メンヒル)盤座(いわくら)などがそうである。
石神はそのものを神様として、盤座は神の座として神霊がお宿りになると考えられていた。
この高山の頂から少し下った所にある盤座は大きい石が数個東に向いて立っており、粘土、小石を使って固定されている。
(この地方では宮崎、馬刀潟、森上の山々に残っている。)
瀬戸内海のような海上交通の盛んなところでは、航行する舟人たちが、海上安全を祈って石神や盤座を祀ったことと思われる。

山頂へは階段を登り、右へ曲がります。



  

四電の巡視路が左に分れます。
山頂は右へ。

夏草が生い茂る中-



高山山頂に到着です。
草木が勢いよくて、
すぐそばに拡がっているはずの海も見えませんでした。

三角点と瓦製の小さな祠が仲良く並んでました。
「高山」四等三角点、標高は、134.83mです。

山頂から少し下り、草をかき分け、海を展望。



巡視路に沿って隣のピークへ行ってみましたけど、
なにもありませんでした。
ヤブ蚊を起こしてしまったので慌てて退散しました。

これも「盤座」?

大きな松ぼっくりを拾いました。

ちょっと寄り道。
県道を西へ、梶取ノ鼻へ行ってみました。



宮崎公民館付近。
白い砂浜がすぐそばです。

「波方町ふるさとこみち案内板」
意外と見どころ沢山。



梶取ノ鼻は右ですけど、まっすぐ道なりに進み、
堤防の見える錨掛ノ鼻の方へ。

堤防の手前まで車が入れて、トイレもあります。
きれいな入り江は海水浴には最適かも。



潮が引いてたので岬の方まで歩けました。

透明度が高く、きれいな磯です。
潮だまりには子供も喜ぶ、小魚やカニの姿も。

へ戻って-



  

「やまもものこみち」という遊歩道を正面に見て左折。

梶取ノ鼻まで、

まるで山道のように、
狭くてカーブ連続、周りは木だらけ、
海沿いだけどほんの一瞬、海が見える程度です。



  

御崎神社の入口。

鳥居前の右カーブの先にある、
上記の「やまもものこみち」の出口。



  

左に「七五三ヶ浦(しめがうら)」へ下りる道。
下ってみました。

「←七五三ヶ浦公園 ↑梶取ノ鼻」



白い砂浜の七五三ヶ浦です。
駐車場やトイレも完備されてるけど、訪れる人も少なく、
ぷちプライベートビーチっぽいです。
当日は先の台風の影響でゴミが打ち上げられ、
少し残念な砂浜になっていました。

②七五三ヶ浦

この入江の展望は、御崎神社、梶取鼻どちらから見ても四季を通じ、訪れた人々の目を楽しませてくれる。
また現在の燈台付近には、来島水軍の見張台があり、通行税をとっていたと言われ、番所という地名が残っている。
この付近は、昔から湧水が豊富で、窪地には天水による水田、畑があり、古代から人が住んでいたと言われている。
県道から少し海岸へ下った谷あいに住居跡と見られる灰の層が露出しており、付近からは土器片も発見されている。

七五三ヶ浦遺跡

波方町指定遺跡

波方町の歴史は古く、人々の生活したあとが数多くの縄文時代の遺跡として発見されている。
ここ七五三ヶ浦遺跡もその中の一つである。
七五三ヶ浦遺跡は、縄文時代前期から同晩期(約5,000年前~2,500年前)に至るもので、各年代の土器石器などが出土し、また住居跡と思われる遺構も検出ざれている。
道路下のケース内には地層が展示されているが、発掘当時のそのままを剥ぎとり、旧位置におかれたもので、あまり他では見られぬ珍しいものである。
(土器は縄文時代後期)

へ戻って、更に奥へ-



  

烽山の賦歌碑へちょっと寄り道。

「烽山の賦歌碑→」

ちょこっと登りますが-

階段横に黄色いキノコがにょきにょき。

歌碑です。







































この頂を火山(ひやま)といいます。
ここを連絡の場として狼火(のろし)をあげていた往年の勇敢な水軍のうきしずみの歴史は、「火山」という名だけにのこって、今はただ松風の音が何かを物語っているように聞こえる。
当時の水夫たちが往来したという小道の両側には山桃が熟
て、近く遠くよりつたわる渦潮の音にゆれているようで往時をしのぶものはない。

ヤブの奥に火山への踏み跡がありました。
秋になったら探険してみようと言い訳して撤退。



県道を更に進むとお大師さん。

半島四国八十八箇所のひとつです。



行き止まりが梶取ノ鼻入口です。

ここにも「烽山の賦」の歌碑が。

①梶取鼻

わが国が大陸文化の輸入やその中継地である九州との往来はすべて海路によった。
その点でこの宮崎の地は重要な地点であった。
大宝律令(701年)の中の軍防令によって各国に軍団が置かれ、この軍団には外敵の侵入に備えて、その進入経路にあたると予想される地に、烽燧(のしろ台)と戌(砦)を置き,国府(現在の今治市富田付近)との連絡、防備にあたった。
左方の山を火山といい、烽燧跡の決め手となる灰の層がいくつか発見されている。
また松山藩の参勤交代の際には「のしろ場」として使用され、歓迎の意昧でも利用された。
眼下の海岸(七五三ヶ浦)には番所という地名が残っている。
現在この付近一帯は国立公園に指定され、梶取鼻灯台と無線信号所で海の男たちに知られている。

「瀬戸内海国立公園 梶取鼻」

案内板から森の中を進みます。



来島梶取灯台(灯台の基礎部分しか撮ってなかった…)。
更に進むと-

ロープが下に向かって垂れています。
すがりつつ、斜面を下ると-



梶取ノ鼻に到着です。

釣り人のためのロープが磯まで垂れてました。

磯まで下りちゃうと登るのが大変そうなので、景色を眺めて終わりにしました。

ひとりごと

高山はささやかな山でした。
案内板にあったような「盤座」なるものは見つけることができませんでした。
季節が季節で、森に踏み入ると虫除けもへっちゃらなヤブ蚊が湧いて、長居も探険もできませんでした。

下山後、梶取ノ鼻へ向かいました。
数年ぶりの再訪でした。
途中で錨掛ノ鼻へ立ち寄ると、ちょうど引き潮。
夏の陽に輝く白い砂がまぶしく、海はもの凄く澄んで、水着を持って来なかったのを後悔したほどでした。
岬への道は相変わらず、狭いけど、行き止まりなので対向車も気にせず、進めました。
七五三ヶ浦は打ち上げられたゴミが多くて、海水浴シーズンなのに、ちょっと残念な風景でした。
梶錨掛ノ鼻、取ノ鼻の「鼻」は岬のこと。
顔の鼻みたく、飛び出たところ。
梶取ノ鼻までは歩きだけど、すぐです。
ロープで下りられるようだけど、高いところは苦手なので途中でやめました。
港や砂浜のある入り江とは違って潮が河のように流れていました。
来島界隈は流れも急。
活きの良い魚が沢山潜んでそう…。

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